新選組 局長
近藤 勇
局長・近藤勇の略年表です。
歴史年表へ戻ります。
天保元年 1830 5月 近藤周助,天然理心流3代目を敬称。
天保5年 1834 10月 10/9 近藤勇(この時,宮川勝五郎),武州多摩郡上石原村(現・東京都調布市)にて,宮川久次郎の三男として生まれる。
天保10年 1839 近藤周助,江戸に出て市ヶ谷柳町に試衛館を開く。
嘉永1年 1848 11月 11/11 勝五郎,近藤周助道場へ入門。
嘉永2年 1849 10月 10/19 勝五郎(16歳),近藤周助の養子となる。これ以降,島崎勝太を名乗る。
安政元年 1854 江戸試衛館と八王子近辺で天然理心流を教える。(この頃に土方歳三と出会ったと思われる。)
安政3〜5 1856〜58 改名・島崎 勇
万延元年 1860 3月 3/29 松井ツネと結婚。
文久元年 1861 8月 8/27 勇,天然理心流4代目を継承。これ以降,近藤勇と名乗る。
文久2年 1862 長女・瓊子生まれる。
文久3年 1863 2月 浪士隊6番隊として,将軍警護の為京へ。勇含め試衛館の8人らも加わる。
3月 3/15 浪士隊の数人は京都に残留,会津藩御預かりとなり壬生村に残る。
9月 9/18 芹沢一派静粛(暗殺)。
浪士隊に「新選組」の隊名を下賜される。
元治元年 1864 6月 6/5 池田屋事変。
慶応元年 1865 3月 新選組屯所,壬生から西本願寺に移転。
9月 隊士募集の為,江戸へ。
11月 長州訊問使・永井尚志の共として広島へ。
慶応2年 1866 9月 三条河原にて制令事件起こる。
慶応3年 1867 6月 新選組,幕府直参となる。
9月 9/20 永井邸で,土佐藩の後藤象二朗と会見。
11月 11/18 伊藤甲子太郎暗殺。
12月 12/18 伏見街道の墨染めあたりで高台寺党の残党に襲撃され,重症を負う。
慶応4年 1868 3月 3/1 新選組の生き残り隊士達は甲陽鎮撫隊として甲州勝沼の戦いに出陣。
4月 4/1 下総流山に布陣。
4/3 近藤勇,新政府軍に投降。
4/4 勇,板橋へ護送される。
4/25 板橋で斬首され刑場に数日間晒される。(享年35歳)
    戒名 貫天院殿純誠義大居士
閏 4/8 三条河原に罪文と共に晒し首にされた。
現在,近藤勇のものと目されている墓は5ヵ所あると言う。
実際に遺体(胴体のみ)を埋葬されたとされている 東京都三鷹市・龍源寺。
土方歳三が遺髪を納めたと言われている 会津若松市・天寧寺。
永倉新八等によって建立された 板橋駅前東口にある近藤勇と土方歳三の墓。
他に東京都荒川区・円通寺。愛知県岡崎市・法蔵寺。
晒された首が法蔵寺に埋葬されていると言うが,定かでは無い様である。
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1834−1868